新・月下独酌



昔の思い出



思い出話のついでに、もうひとつ

私が筑波大学にいた頃の話である。


私は人文学類に所属していたが、比較文化学類という学科が150メートルほど離れた建物内部にあった。

なにせ、横1.5キロ。縦4キロ(だったと思う)という広大な敷地内のことである。150メートルなどはお隣といっても良い。ところが、このお隣の比較文化学類と人文学類はおおよそ性質の異なる風があった。

一言で表すならば、比較文化学類は「こじゃれて」いたのだ。垢抜けていたといってもよいだろう。今はどうなのかわからないが、少なくとも私がいたころはそうだったように思う。

さて、この垢抜けた比較文化学類にひとりの先生がいた。

名を五十嵐一という。イスラム学の専門家で井筒俊彦直系のお弟子さんであったと記憶している。演劇にも造詣が深く、その授業を受けたようにも思う。

記憶が怪しいのは、まともに授業に出なかったためだが、効かん坊のような風貌とそれに見合った毒舌、そして溢れるユーモアは、数少ない出席授業でも十分に見て取れた。





大学3年生の夏。言語学研究会と名前だけは立派なサークルを作って、われわれは夏の合宿を千葉で行った。2泊3日の旅は、うまい魚とうまい酒で盛り上がったのだが、そこにTVから凶報が飛び込んできた。

・・・五十嵐一助教授、刺殺さる・・・

五十嵐助教授は、あの『悪魔の詩』の翻訳を手がけていた最中だった。サルマン・ラシュディが書いた『悪魔の詩』は、時の最高指導者ホメイニ師の激怒を買い、ラシュディ氏に対しては死刑宣告が出ていた。

その翻訳者が殺される。

おおよそ、犯人が誰かは予想がつく。しかも、その殺され方は尋常のものではなかったらしく、発見した掃除婦は、あまりのむごたらしさに失神したと聞いた。





この出来事に、学内は騒然となったが、不思議なことに我々の間ではその狂騒さは見られなかった。事件の異常性が強すぎて、ピンと来なかったのかもしれない。



我々は五十嵐助教授の死を悼んで、何か記念になるようなものを残そうと考えた。
しかし、学生の浅はかさ。何も良い知恵が浮かばない。

誰かが「五十嵐先生の名前を冠した役でもつくろう」と言った。

麻雀の役のことである。
マンズを集めて合計数が51になるという実に他愛もないものであったが、「役満;五十嵐」が誕生した。

助教授を悼んでの麻雀大会が行われたのは言うまでもない。

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by harukado-ruri | 2006-06-05 00:29 | 政治の話
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