新・月下独酌



憲法と裁判所に対する抜きがたい幻想



首相靖国参拝訴訟の最高裁判決が出ました。


小泉純一郎首相の靖国神社参拝は憲法の政教分離原則に反しており、精神的苦痛を受けたとして、戦没者の遺族らが国と小泉首相などに損害賠償などを求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(今井功裁判長)は23日、原告側の上告を棄却した。原告側の請求をすべて退けた2審・大阪高裁判決が確定した。
 歴代首相の靖国参拝をめぐる訴訟で、最高裁判決は初めて。1、2審で敗訴した原告側が上告したが、第2小法廷は違憲を理由とした部分は受け付けず、13日付で棄却を決定している。
 今井裁判長は判決理由で、「本件参拝によって上告人らに損害賠償の対象となり得るような法的利益の侵害があったとはいえない」と指摘した。
  (産経新聞)



福井新聞はもとより、沖縄タイムス、高知新聞、徳島新聞、中国新聞等々で、「最高裁が判断を逃げた」という論調が目立っています。

原告代表も「最高裁は司法の権限を放棄した。まさにサボタージュだ」と憤慨しています。

ふむ・・・・・

二度にわたって松山地裁に提訴した「四国訴訟原告団」の安西賢二事務局長は「首相の違法行為をたしなめることができるのは司法だけなのに。非常に残念」」と語っています。


ふむ・・・・・


まず、日本のある部分の人々に対して、未だに「憲法に対する幻想」「最高裁判所に対する幻想」が根強く残っていることに私は驚いています。

この幻想は、政府とか国家とかの好き放題にを憲法が制限してくれるはずだ。最高裁判所は憲法の番人として最終的に国家の活動をチェックしてくれるはずだ・・・・・という内容で、前述の安西氏の「首相の違法行為をたしなめることができるのは司法だけだ」というような発言にも如実に現れています。


なぜ、こういった幻想が生じているのか。これが私にはわからないところです。

「法律上の争訟を判断するのが裁判所である」という法学の基礎に立ち戻れば、最高裁がこのような判決をだすことくらいは当然に予測できるはずなのですが・・・・






ちょっと話が脱線します。

例えば、1960年代の日本であるならば私も納得できるのです。あの時期には、国鉄や日教組や公務員などのストライキが頻発した、政治的に不安定な時代でした。
 もっとも、そういった不安定な時代にもかかわらず、革新勢力はどんどんと力を失っていくわけですね。時代が高度経済成長になっているわけですから、人々は現在の政治状況を支持する。つまり、平たく言えば自由民主党を支持する。そうなると、具体的な政治の場で革新勢力は国民を説得して選挙制度上で多数派支配ができない。
 戦争が終わった直後には「ついにできあがるか」と思われた革新長期政権も夢に終わり、ずるずると後退する一方である・・・・・と、そういう状況下で、意識的に裁判所を政治闘争の場にしていたわけです。何か政治問題が生じると裁判所に逃げ込む。裁判所で自らの正義を主張する。

半世紀前の日本がこういった状況だったのですが、ひょっとしたら、革新系の発想は今も昔も変わらないということなのでしょうか。


国民はそういった欺瞞・・・・・裁判所に逃げ込んで自らの正義を主張するという行為の胡散臭さ・・・・・・・・に、とうに気づいているように感じます。


そういえば、『表現者』7月号で、宗教学者の中沢新一氏が興味深い指摘をしていました。具体的な内容は、実際に読んでいただくとして、その指摘とは「戦後にあれほど忌み嫌われていた『国体』という言葉を英訳するならば、Constitution of Stateになる。これは『憲法』のことだろう。戦後は『国体』という言葉をなしにしたわけだが、結局それは『憲法』という言葉に代わっただけのことに過ぎない」というものでした。

なるほど、そう考えればつじつまはあいます。結局、彼らは戦前回帰を否定しながらも同じ原理主義に陥ってしまったわけです。





話を元に戻しましょう。
   

なぜ、最高裁判所や憲法に対して、このような幻想が未だにまかりとおっているのでしょう。

責任の一端は、学校教育にあることは間違いないでしょうね。政治経済や公民の授業で、違憲審査について語るときには、必ずといってよいほど「憲法の番人」という言葉を用います。確かに最高裁は「憲法の番人」という地位を与えられています。しかし、憲法学の重大な、そして根本的な論点のひとつが「司法権の限界」であることを踏まえて、それらは教えられるべきなのです。





さて、最高裁判所は司法権の頂点をなす存在であって、「司法権の独立」に象徴されるように、政治とは無縁の存在だ・・・・・・・・と考えている人がいるならば、手始めにこの本をお読みください。
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最高裁物語(上・下)
 講談社プラスアルファ文庫
 山本 祐司 (著)




いかに、最高裁が政治の間で揉まれてきたかがよくわかります。
そして、最高裁がいかに政治的立ち回りが上手いかも。

※ただ、著者は「司法はもっと踏み込むべし」という立場の人のようなので、筆致が抑えられていない部分はあります。


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by harukado-ruri | 2006-06-24 23:38 | 政治の話
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