新・月下独酌



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ブルドック来襲!



今朝方、私宛に不審な荷物が大きなダンボールに入って届けられました。

妻が騒いでいるので、何事かと尋ねてみると・・・・・・

永谷園は、『大人のふりかけ』で、ブルドックが景品であたるというキャンペーンをやっていました。テレビのコマーシャルでご覧になられた方もいらっしゃるでしょう。

妻は、こっそりとそれに応募したそうです。そしてそれがものの見事に当選した・・・・・・と。


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まあ、とりあえず記念撮影でもしておくか・・・・と一枚。







さて、ブルドックのぬいぐるみとはどのようなものか、早速見てみましょう。

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ぅっ

・・・・・・・・びみょうだ・・・・・・・







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まあ、お約束ということで、記念にもう一枚。









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ちなみに、このブルドックのリアールちゃん(命名者;永谷園)は、限定1万個生産だそうです。

しかも、驚いたことにハンドメイド

ですから、当然のようにシリアルナンバーも打たれています。





すごいですね、永谷園さん。

がんばりましたね。





でも・・・・・・・

ごめんなさい。当選しておいてこんなこというのは失礼の極みなんですが。

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こわい・・・・・゚・(つД`)・゚・ ウワァァァン




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by harukado-ruri | 2006-06-28 09:16 | 身辺雑話

グーグル・アース



検索サイトのグーグル(Google)は、検索の正確さ、検索範囲の広さ等で有名ですが、色々な機能がついていることでも名を知られています。

ふとしたことで、この「色々な機能」のひとつである「グーグル・アース(Google Earth)」の存在を知りました。

これは、地球上のありとあらゆるところの衛生写真を張り合わせた、いうなれば地球儀のようなものでして、主要都市になると建物の屋根まで鮮明に見えます。

残念ながら、「主要都市になると・・・・」ということですので、勝山の解像度はさほどよくありませんでした。



地図が好きな人、旅が好きな人で、まだご覧になってない方はどうぞ。


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by harukado-ruri | 2006-06-28 01:32 | 身辺雑話

市議会議員定数



昨日は、6月定例会の最終日でした。

新聞の校了締め切り時間の関係から、本日の新聞紙面には出ておりませんが、議員提案による議員定数削減条例案が賛成多数で可決されました。

これにより、次回の一般選挙から、現行20名の定数は4名削減されて16名にて実施されます。


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by harukado-ruri | 2006-06-27 15:53 | 政治の話

漬けてみますか



入梅の候、皆様いかがお過ごしでしょうか。

この季節は、「入梅」の言葉にもあるとおり、梅を漬け込む季節です。

我が家でも、梅を漬ける準備を進めておったのですが・・・・・・



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     ?━━(゚Д゚;)━━アレ?

・・・何かが違う・・・・・



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by harukado-ruri | 2006-06-25 03:06 | 身辺雑話

憲法と裁判所に対する抜きがたい幻想



首相靖国参拝訴訟の最高裁判決が出ました。


小泉純一郎首相の靖国神社参拝は憲法の政教分離原則に反しており、精神的苦痛を受けたとして、戦没者の遺族らが国と小泉首相などに損害賠償などを求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(今井功裁判長)は23日、原告側の上告を棄却した。原告側の請求をすべて退けた2審・大阪高裁判決が確定した。
 歴代首相の靖国参拝をめぐる訴訟で、最高裁判決は初めて。1、2審で敗訴した原告側が上告したが、第2小法廷は違憲を理由とした部分は受け付けず、13日付で棄却を決定している。
 今井裁判長は判決理由で、「本件参拝によって上告人らに損害賠償の対象となり得るような法的利益の侵害があったとはいえない」と指摘した。
  (産経新聞)



福井新聞はもとより、沖縄タイムス、高知新聞、徳島新聞、中国新聞等々で、「最高裁が判断を逃げた」という論調が目立っています。

原告代表も「最高裁は司法の権限を放棄した。まさにサボタージュだ」と憤慨しています。

ふむ・・・・・

二度にわたって松山地裁に提訴した「四国訴訟原告団」の安西賢二事務局長は「首相の違法行為をたしなめることができるのは司法だけなのに。非常に残念」」と語っています。


ふむ・・・・・


まず、日本のある部分の人々に対して、未だに「憲法に対する幻想」「最高裁判所に対する幻想」が根強く残っていることに私は驚いています。

この幻想は、政府とか国家とかの好き放題にを憲法が制限してくれるはずだ。最高裁判所は憲法の番人として最終的に国家の活動をチェックしてくれるはずだ・・・・・という内容で、前述の安西氏の「首相の違法行為をたしなめることができるのは司法だけだ」というような発言にも如実に現れています。


なぜ、こういった幻想が生じているのか。これが私にはわからないところです。

「法律上の争訟を判断するのが裁判所である」という法学の基礎に立ち戻れば、最高裁がこのような判決をだすことくらいは当然に予測できるはずなのですが・・・・






ちょっと話が脱線します。

例えば、1960年代の日本であるならば私も納得できるのです。あの時期には、国鉄や日教組や公務員などのストライキが頻発した、政治的に不安定な時代でした。
 もっとも、そういった不安定な時代にもかかわらず、革新勢力はどんどんと力を失っていくわけですね。時代が高度経済成長になっているわけですから、人々は現在の政治状況を支持する。つまり、平たく言えば自由民主党を支持する。そうなると、具体的な政治の場で革新勢力は国民を説得して選挙制度上で多数派支配ができない。
 戦争が終わった直後には「ついにできあがるか」と思われた革新長期政権も夢に終わり、ずるずると後退する一方である・・・・・と、そういう状況下で、意識的に裁判所を政治闘争の場にしていたわけです。何か政治問題が生じると裁判所に逃げ込む。裁判所で自らの正義を主張する。

半世紀前の日本がこういった状況だったのですが、ひょっとしたら、革新系の発想は今も昔も変わらないということなのでしょうか。


国民はそういった欺瞞・・・・・裁判所に逃げ込んで自らの正義を主張するという行為の胡散臭さ・・・・・・・・に、とうに気づいているように感じます。


そういえば、『表現者』7月号で、宗教学者の中沢新一氏が興味深い指摘をしていました。具体的な内容は、実際に読んでいただくとして、その指摘とは「戦後にあれほど忌み嫌われていた『国体』という言葉を英訳するならば、Constitution of Stateになる。これは『憲法』のことだろう。戦後は『国体』という言葉をなしにしたわけだが、結局それは『憲法』という言葉に代わっただけのことに過ぎない」というものでした。

なるほど、そう考えればつじつまはあいます。結局、彼らは戦前回帰を否定しながらも同じ原理主義に陥ってしまったわけです。





話を元に戻しましょう。
   

なぜ、最高裁判所や憲法に対して、このような幻想が未だにまかりとおっているのでしょう。

責任の一端は、学校教育にあることは間違いないでしょうね。政治経済や公民の授業で、違憲審査について語るときには、必ずといってよいほど「憲法の番人」という言葉を用います。確かに最高裁は「憲法の番人」という地位を与えられています。しかし、憲法学の重大な、そして根本的な論点のひとつが「司法権の限界」であることを踏まえて、それらは教えられるべきなのです。





さて、最高裁判所は司法権の頂点をなす存在であって、「司法権の独立」に象徴されるように、政治とは無縁の存在だ・・・・・・・・と考えている人がいるならば、手始めにこの本をお読みください。
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最高裁物語(上・下)
 講談社プラスアルファ文庫
 山本 祐司 (著)




いかに、最高裁が政治の間で揉まれてきたかがよくわかります。
そして、最高裁がいかに政治的立ち回りが上手いかも。

※ただ、著者は「司法はもっと踏み込むべし」という立場の人のようなので、筆致が抑えられていない部分はあります。


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by harukado-ruri | 2006-06-24 23:38 | 政治の話

青年会議所、中国へ渉る



CRIオンラインより、妙な記事が飛び込んできました。

日本青年会議所代表団の一行、340人が19日から22日にかけて、中国を訪問しています。中国全国人民代表大会常務委員会の蒋正華副委員長は21日、代表団の一行と会いました。

 代表団の一行は中国訪問の期間中、第二次世界大戦で中国を侵略した日本軍に殺された人々を記念する南京大虐殺遭難同胞記念館や、中国人民抗日戦争記念館などを参観し、中国の若者たちと交流をしました。


5月のASPAC(アジア太平洋会議)の日韓理事長フォーラムも腰砕けの内容でしたし、嫌な予感がします。また、良いように相手に言い含められて帰ってくるのでは?


そういえば、最近、この蒋正華の名前を耳にします。
全人代常務委員長は、呉邦国だったはず。この呉邦国は江派の直系でナンバー2の人なのですが、蒋正華も江派なのかな?

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by harukado-ruri | 2006-06-23 19:53 | JC・JC・JC

議員定数の話



議員定数削減がいよいよ大詰めに向かう中で、ぎりぎりの攻防が繰り広げられています。

昨日、議会改革特別委員会委員長の近藤議員がその職を辞されました。委員会の中身がどのようなものであったかは分かりかねますが、おおよその見当はつきます。

来週の月曜日、6月議会の最終日の本会議において、議員提案により「議員定数条例改正案」が上程されるか否かがひとつの山場になることでしょう。

市民の皆様には、誰が賛成して誰が反対しているのかを注視していただきたい。



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by harukado-ruri | 2006-06-23 00:24 | 政治の話

結婚記念日



本日は、結婚記念日。

子どもをおじいちゃん・おばあちゃんに見てもらい、久しぶりに二人で映画を見てきました。


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by harukado-ruri | 2006-06-22 23:42 | 身辺雑話

平泉博士のこと(後)


バークを通じて平泉博士にぶち当たった頃、私の中で博士に対するイメージは通俗どおりの「ゴリゴリの皇国史観の親玉」であった。

天皇陛下を天壌無窮の存在として捉えるだけの、神学とも呼ぶべき歴史学。その総帥としてのイメージである。


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そんな頃、気紛れに読んでみるのも面白かろうと、この本を手にした。

この『物語 日本史』は少年少女向けに書かれたものである。ただ、語り口こそ子供向けであるものの、内容の高度さに正直なところ驚いた。

「明治維新は、古い封建制度からの脱却であり、いわば一種の革命である。そこから日本の近代が始まる」という史観がある。私もこの史観に馴染んでいた。

「そのような史観は、所詮は後付けの歴史観でしかない。現実に維新をくぐっていた人々は、我々が言うような革命をしているつもりはなかったはずだ。ならば、そのような史観が往時の彼らの行為を説明できるはずがないではないか」
本書はこれを気づかせてくれるものだった。








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そして、最近、この書を手に入れた。

丸山眞男と平泉澄を並べたところに、作者の慧眼がある。
著者自身が、冒頭で述べているように、この二人は思想的に全く対照的な位置にあるからだ。




丸山眞男を読む人は平泉澄を読まず、平泉澄を読む人は丸山眞男を読まない。その二人を本書に論じるのは、あるいは読者にとって、唐突の感があるかもしれない。それほどまでに二人は、その思想において対極的だからである。

  (はしがきより)



この書で、なぜ平泉博士は歴史学を神学にまで高める必要性に駆られたのかが、わかったような気がする。

明治期の日本は、西欧より様々なものを貪ったが、最後まで皿の上に乗らなかったのが『神学』であった。



他方で、この『神学』を克服することで西欧の近代思想は始まったといえる。



事実、ドイツ観念論の集大成として知られるヘーゲルも、その出発点を神学に負っている。

『神学』とは何であろうか。それは神という絶対なる存在者を通して世界を把握する手法であろう。その神に代わるものは何か。そして、神の代価物によって世界を認識することは可能なのか。
 信仰とは、全人格的なものである。全人格的ということは、ひとりの人の中において結実し完成されねばならない。そういった神への信仰の基礎である『神学』に代わるものは、やはりひとりの人の中において世界を結実するものでなくてはならない。

ヘーゲルの『個人―社会―国家』のプロセスは、このような下敷きがあったのではないかと私は考える。



西欧より『神学』を輸入しなかった日本の精神的強靭さは、理性をぶつける相手を持たなかった。西欧人が『神学』に立ち向かうことによって己の理性を強固なものにしていったのに対し、日本人は理性の産物のみを導入した。

理性は自生するものではない。日本人のそのような態度の内に、確固たる理性が発生するはずもなかった。ましてや、西欧知識人が悩んだ「信仰と理性の葛藤」に苦しむ人は少なかったことだろう。

平泉博士が「歴史とは全人格的なもの」と述べ、自らの史学を神学にまで高めようとしたのは、この葛藤そのものの克服を日本において独自に解決しようとされたのかもしれない。


ぜひ、勝山の人にこそ読んでいただきたい1冊である。



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by harukado-ruri | 2006-06-22 23:36

平泉博士のこと



ふとしたきっかけで、平泉澄(きよし)博士の著作に触れることがあった。

おそらく、今の子どもたちは平泉博士の名を知るまい。
否、大人ですら下手をすると平泉澄を「ひらいずみわたる」と呼びかねない。





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博士は、明治28(1895)年に平泉寺白山神社の家に生まれた。

大正7(1918)年、東京帝国大学文科大学国史学科を卒業し、大正12(1923)年には東京帝国大学講師となり同15 (1926)年には助教授となる。

昭和5(1930)年には1年間欧州に留学。この頃は、大学教授候補が渡欧する慣習があったそうだ。

昭和10(1935)年に東京帝国大学教授となる。昭和20(1945)年、敗戦後すぐに大学を辞職し、故郷の平泉寺白山神社の宮司となり晩年を過ごされた。昭和59(1984)年死去。

上記の写真は、昭和43年のものである。



博士の名を良くも悪くも決定付けたのは「皇国史観」である。自由主義者、民主主義者から見れば戦争を美化する思想の最たるものであっただろう。博士は、戦争が終わった時点で自ら職を辞し勝山に戻られた。おそらく自らが受けねばならぬ「何か」を直観的に見抜いておられたのかもしれない。

ちなみに、平泉渉元衆議院議員が博士の末子であることは言うを待たない。博士のご子息のうち、長男は勝山高校で歴史を教えられ、後に金沢工業大学の教授になられた。ちなみに、この方のご長男も金沢工業大学の教授である。先の衆議院選挙の時にお会いしたことがある。








案外と知られていないことだが、博士はE.バークの紹介者でもあった。

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保守主義という政治思想は、革新主義と双生児のごとくに誕生した。

その双生児の母胎はフランス革命であった。この革命はフランスに革新主義を誕生させると同時に、イギリスに保守主義を生じさせた。その保守主義的政治家の始祖がE.バークである。


バークは明治期に金子堅太郎により日本に紹介される。

夏目漱石は、その講演録の中で「バークほどわからぬ思想家はいない」と嘆じた。
無論、漱石ほどの碩学がバークを読めなかったわけではあるまい。漱石自身がバークの著作から引いたとしか思えぬような文明論をしたためていることからもそれは明らかだ。


もっとも、漱石が嘆じたように、バークの思想は世に受け入れられにくかったのだろうか。
一旦、バークの思想は下火になり、平泉博士の労によって再び脚光を浴びることになる。





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平泉博士の『先哲を仰ぐ』には、橋本景岳(左内)や真紀和泉守(保臣)、吉田松陰等に対する論説があるが、そこに『革命とバーク』と題する1節がある。

この扱いを見れば、博士の中でバークが大きな位置を占めていたことは想像に難くない。









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そして、平泉博士が言論界から抹殺されるに及んで、バークの思想も永い眠りに入ることになった。岩波文庫からバークの代表作である『フランス革命の省察』が出版されたのは21世紀に入ってからだ。





当時、バークの著作を読んでいた私は、その縁で平泉博士にぶち当たったのだった。


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by harukado-ruri | 2006-06-21 17:11 | 本の話


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